Myanmar Eye

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最後まで残った男

第二次大戦中の激戦地メイッティーラの外れに、ある一つの僧院がある。
その僧院の奥には、一人の日本人のために建てられた石碑があった。
この石碑の名は「ウー・チャン・イエッ」。一人残った男という意味である。

敗色濃厚な戦争末期、南へと逃避を続ける一人の兵士がいた。
英軍は執拗に掃討作戦を仕掛けてくる。インパール作戦は完全な失敗だった。
インド国境の峻険な山岳地帯から白骨街道を生き延びて、やっとの思いでここまで来たが、
既にメイッティーラは敵の勢力圏内となっていた。

仲間は次々に死んでいく。
覚悟を決めたのだろう、彼は逃げるのを止めた。
一人藪に潜み、反撃を開始したのだ。

大勢の兵を投入して、物量にまかせて次々と撃ち込んでくる。それでも反撃が止まない。
英軍はそこに、相当の数の日本兵が隠れていると思ったらしい。
結局英軍は業を煮やして、そこに爆弾を投下した。

しかしそこに倒れていたのはたった一人の兵士だけだった。
その事実に、現地のミャンマー人たちは驚いた。そしてたったひとりで戦い続けたその男の勇気を讃えたという。

カメラ:サンヨー Xacti DSC-J1 フィルム:デジタル レンズ:37-104mm
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by thitsa | 2012-08-15 13:00 | 日本軍とミャンマー | Comments(1)

松の木の墓標

カレン族にはキリスト教徒が多い。
仏教国と言われるミャンマーの、ごく普通の村の外れに突然十字架が林立する墓地を見つけたときには驚き、
違和感を感じたものだった。
しかし後日、更に衝撃的な事実を知ることとなる。

戦時中この村の近くの野戦病院で働いていたという元日本人看護婦の方からいただいた手紙によると、
病院で亡くなった日本兵の方々を一時期、この墓地の隅に埋葬していたというのだ。
埋葬する際、墓石の代わりに松の苗木を植えていったという。
現在、墓地の隅にはいくつもの立派な松の木が立っている。

これらは遠い異国で命を落とした日本人達の墓標だったのだ。

※ミャンマー語&日本語の月刊情報誌SHWE BAMARより転載

カメラ:ニコン F3 フィルム:フジ プロビア100 レンズ:50mm
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by thitsa | 2012-08-15 09:05 | 日本軍とミャンマー | Comments(0)

戦争の遺物

南シャン州、アウンバンの寺院では、日本軍の燃料タンクらしきものを今も水道用の貯水タンクとして利用していた。

貧しい地方の村では、日本刀を加工して農作業に使ったり、飯ごうを炊飯に使ったりと、60年も昔の遺物を今でも活用している例をよく見かける。
それらは一介の旅人に、戦争の事実を思い起こさせる十分な存在感を放っていた。

※ミャンマー語&日本語の月刊情報誌SHWE BAMARより転載

カメラ:ペンタックスK10D フィルム:デジタル レンズ:18-55mm
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別の寺院の敷地内にもタンクが置いてあった。
カメラ:ペンタックスK10D フィルム:デジタル レンズ:18-55mm
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by thitsa | 2012-08-14 20:50 | 日本軍とミャンマー | Comments(0)

日本兵の孫

南シャン州、山地の村。日本兵の孫という人物に会った。

祖父は戦時中、村の近くに不時着した戦闘機のパイロットだったという。
しばらくして祖母と恋に落ち、やがて父が生まれた。
しかし戦況は逼迫していて、祖父は村を離れなければならなかった。

父の愛称は「ジャパン」。機械を直すのが得意で、それは手先の器用な日本人の血を引いているからだと言われた。
孫の彼も機械好き。
今、寺のラジオを直しているところだという。

血の力なのか、それとも思いの力なのか。少なからずこの辺境の村の青年に影響を与えた、遠い日の2人の出会いに思いを馳せた。

※ミャンマー語&日本語の月刊情報誌SHWE BAMARより転載

カメラ:ペンタックスK10D フィルム:デジタル レンズ:18-55mm
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by thitsa | 2012-08-13 20:30 | 日本軍とミャンマー | Comments(0)

ヘルメットの鉢

今年も終戦記念日がやってきました。
以前㈱ニューコム様の日本語ビルマ語情報誌「シュエバマー」に掲載いただいた中から、
戦争の話をいくつか紹介していきたいと思います。


南シャン州、カロー。この町で小さな日本語教室を開いている老人がいた。
第二次大戦中に日本軍から日本語を学び、軍の仕事を手伝っていたのだという。
老人の家の庭は、たくさんの草花に満ちた美しいものだったが、そんな中、ふと1つの鉢植えを見るとそれは日本軍のヘルメット。

きっと昔からさほど変わらない町のたたずまいと、老人の古い日本語の話し振りもあいまって、当時の光景が生々しく脳裏に浮かんでくる。
六〇年以上も前、確かにここは戦場で、日本人がいたのだ。
カメラ:フジ FinePix1700Z フィルム:デジタル レンズ:35-105mm
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by thitsa | 2012-08-12 11:51 | 日本軍とミャンマー | Comments(4)