Myanmar Eye

今なおミャンマーに眠る遺骨(SHWE BAMARより)

今回の旅に関連して、昨年末に旅した際の遺骨の話も載せておきますね。
こちらは日緬情報誌SHWE BAMARの2月号に掲載していただいたものです。


今なおミャンマーに眠る遺骨

日本人が「ミャンマー(ビルマ)」と聞いて思い浮かべるもののトップ3に
「ビルマの竪琴」が入ると言っても、異論を挟む方はおそらく少ないだろう。
戦後、竹山道雄が書いた小説はその後2度にわたり映画化もされ、誰もが知る名作だ。

私が初めてミャンマーという国について知ったのが中学生の頃にこの映画を観たときだった。
異国で朽ち果てた戦友の屍を放っておけず、供養のため僧侶となって、
ひとりビルマに残る決意をした水島上等兵の姿に感動を覚えたものだった。
それ以来、どこか心の奥に、もし自分にも機会があれば水島の様な行動をするかもしれない、
という漠然とした思いが宿り続けていたのだろう。

先日、ミャンマー人の知人から日本兵の遺骨が放置されている場所があるという話を聞いたときにも、
その地を訪れることになんのためらいも感じることはなかった。

ヤンゴンから車で6時間程の、幹線道路沿いの小さな町が知人の故郷だった。
まず知人は広大な水田の先にある寺院を案内してくれた。
そこに101歳で亡くなった日本女性の墓があると聞いていたからだった。
寺の僧侶の話では、女性はずっと日本で暮らしていたが、
自分が死んだらこの地に遺骨を埋めてほしいと娘さんに遺言を残していたようだ。
女性の夫は第二次世界大戦中、この辺りで亡くなったのだという。
しかし夫の遺骨は日本に戻ることはなかった。今もこの地のどこかに眠っている。
だから死後、少しでも夫に近づけるようにとこの地を永眠の場所に選んだのだろう。

寺院の隅に南国の草木に包まれるようにして1つの墓石が置かれていた。
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寺院に眠る日本人女性について語る僧侶。
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翌朝、町から少しだけ離れた林の中の小さな集落を案内された。そこは幹線道路の
すぐ脇にあるというのに道は舗装されず家も昔ながらの木造建築が連なり、
何だか突然過去の時代へ戻ってしまったかのような雰囲気だった。

ひっそりと林に囲まれた集落。
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遠くに見える山脈は日本軍の撤退ルートだった。
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とある家でひとりのミャンマー人の老人から話を聞いた。彼は戦争末期、
村の外れの林で起こった惨劇を覚えていた。そこには8人の日本兵がいたという。
皆衰弱し、移動を続けることができなくなっていたのだろうか。
上官は彼らを並べて射殺し、その後自ら命を絶った。
その場所は戦後ずっと林の中でそのまま放置されていたというが、
その後農地拡大のため林の木が一部伐採され、遺骨が再び人の目に触れることに
なったのだと言う。現地を案内してもらったがそこはわずかな窪地になっていて、
今は丈の長い雑草に覆われていた。

「遅すぎるよ…」

そう言ったのはそばにいた村人の一人だった。当時を知る老人は既にそのほとんどが亡くなり、
話を聞いた老人は惨劇を知る最後の一人だった。今回、彼と会うことができなかったら、
永久に遺骨は発見されなかったかもしれない。

右手の草むら約70年間、遺骨が放置されたままだという。
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日本政府は大戦中に海外で亡くなった戦没者の遺骨収集事業について、平成26年度から
南太平洋諸国やミャンマーなどでの収集を強化する方針を固めたという。
ミャンマーに残る遺骨はおよそ4万5千柱。既にその存在を知る現地人も多くはこの世を去り、
見つけることのできない遺骨は相当な数だろう。早急な行動が必要だ。


この日緬情報誌SHWE BAMARですが、なんと3月号を最後に休刊になってしまいました。
5年以上フォトエッセイを連載させていただいてたのに残念…。
近いうちにウェブ媒体で何らかの形で再スタートする予定とのこと。
期待したいと思います。


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by thitsa | 2014-04-07 15:02 | 日本軍とミャンマー | Comments(0)